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angmar 「何のことはない、コイツは勝手に”ふたつの記事を合わせて読”み、”はてこ氏は「女性を怖がら(中略)いるように思える”などと勝手に結論づけているだけである。」とかまた突っ込まれるよ。 2010/03/25

海燕の「ライオンさんからひと言。」というエントリについて、幽霊が怖い子どもが「饅頭こわい」と煩いので、早速始めるかw

一見するとこのエントリは表現規制を問題としているかのように見えるが、実態はまたしても「獣は虚勢」論争の再演であり、「怒られそうなことを敢えて言」ったバカ女と同じことをしているに過ぎない。「ライオン」という比喩に拘っていることからも分かるとおり、海燕が焦点を当てているのは「ライオン(男) vs. ウサギ(女)」という男女の対立項で、表現規制問題に託けて「加害者に仕立て上げられたという被害者意識」からはてこを攻撃しているのであり、底流にあるのはMisogynyである。根底に女性嫌悪があるから「ライオン」というフレーズに過剰反応して「謂れのない非難を女から受けた」と怒り狂っているのであり、実際には表現規制問題など二の次三の次、女性憎悪こそが隠れたMain Themeである。

海燕が如何に男女を相敵対する存在として見ているか、両者の対立を訴えたいだけであるかを証明しよう。

1. このふたつの記事を合わせて読むと、はてこ氏は「女性を怖がらせるような作品は規制されるべき」と主張しているように思える。ぼくはこの意見には賛成することはできない。
2. 付言すると、この問題を「じぶんの権利を主張するばかりの男性」と「その犠牲になる女性」という構図で読みとくことはできない。
3. 単純に「男性対女性」という構図で読み解ける問題ではないのである。


1のように「思え」てそれに反対する(=「賛成することはできない」のであれば、むしろ積極的に2や3のような「構図で読みとく」べきであって、自らそれを否定するのは矛盾している。「読みとくことはできない」のであれば、最初からそんなものを持ち出す必要がないことからしても、はてこのエントリから「『男性対女性』という構図」を読み取ったのが他ならぬ海燕自身であることは丸見えである。頼まれもしないうちから自分でこの「構図」を持ち出しておいて自分で否定しているのだから、この男の心のうちに何があるのかは明らか、語るに落ちるにも程がある。はてこが「『女性を怖がらせるような作品は規制されるべき』と主張しているように思え」たのであれば、それをMisandryだとして攻撃すれば良いのに、わざわざ余計なことを言って己がMisogynyを宣伝している。本人もそれに薄々気付いているから「レディコミ」やらなんやらを理由にやっきになって否定しているのだが、表現の自由に性別など関係ないことは当たり前であ、態々そんなことに言及すること自体、自分がどのような「構図」でこの問題を見ているのかを白状しているに過ぎない。

ここにあるのは男を非難する女への猛烈な憎悪である。表層で語られている表現規制問題などは一種のカモフラージュだ。それが証拠に、この問題については「それでもなお、それらを規制するべきではない」とか「その『暴力性』を基準にして表現を規制していいということにはならない」とか言いつつ、その理由については一向に説明しようとしていない。暴力表現を表現の自由の名の下に野放しにしても良いとする根拠は何か? 例えば韓国人への差別を露にした表現物があったとして、それについて規制する必要はないのか? 国家の指針に依らず全て民事訴訟で解決を図れば良いと考えているのか? そのような作品が原因となって国民の間に差別心が蔓延していくことを放置しても良いとする根拠は何なのか?

結局は己の愛好するエロマンガその他を取り上げられたくないから反対しているだけであって、海燕が表現規制の問題については大した考えを持っているわけではないことは、下記のような記述からも明らかである。

「怖い」と感じることは自然だし正常だと思うけれども、だからといってそれを法規制の根拠にしていいとは考えない。だれかが怖いと感じるものを片端から規制していったら、ぼくたちはあっというまにおそろしく不自由な社会に住む羽目になるだろう。たとえば、「外国人は何を考えているのかわからなくて怖い」と考えているひとは日本中にたくさんいると思う。しかし、だからといって即座に外国人の権利を制限していいということにはならない。情緒は情緒、法は法なのである。

「『怖い』と感じ」たにも拘らず、「だからといってそれを法規制の根拠にして」は駄目だ言うのであれば脅迫罪は成立しない。他人を威嚇すれば、それは罪になり得る。「片端から規制」しろなどとは誰も言っていない。自作自演の歪曲である。「外国人」云々の下りは、「小児性愛、拷問、レイプ、盗撮、痴漢系」ポルノを愛好するキモオタは「『何を考えているのかわからなくて怖い』と考えているひとは日本中にたくさんいると思う」が、それらを実行したわけではないし、ましてやそれが二次元の創作であれば被害者はいないのだから罰則の対象にはなり得ないという、お馴染みの主張に過ぎず、はてこの「表現が規制されるのはその表現がすでに暴力で脅威だからだ」という主張に対する抗弁にはなっていない。はてこは、そんなものが正々堂々と流通していること自体が「脅威だ」と言っているのだから、これに対して反論しなければならない筈だ。「情緒は情緒、法は法」などと威張っているが、現実を無視した戯言である。上述した脅迫や名誉毀損など、精神的被害も法で裁かれることは言うまでもない。

それはたしかにある種の「暴力」であるかもしれないが、他の表現と決定的に違う意味で「暴力」であるとは考えない。あらゆる表現がだれかを傷つける可能性を秘めている以上、その「暴力性」を基準にして表現を規制していいということにはならないと思う。

「他の表現」とは violence系アクションものに代表されるような暴力表現を指しているのであろう。映画におけるPG指定を見れば分かるとおり、性的なものも含めて、これらの表現は米国では厳しく規制されているが、海燕は「その『暴力性』を基準にして表現を規制していいということにはならない」と言う。誰もが「小児性愛、拷問、レイプ、盗撮、痴漢系」といった表現に接して良いという。これはゾーニング否定である。ではその根拠は何なのか? 何も書かれていない。ただ「僕はそう思う」と繰り返しているだけである。このような主張を米国で展開する用意があるのか聞いてみたい。日本にのみ適用できる意見だというのであれば、その理由も問うてみたい。

はてこ氏はまた、「もしも私が教師だったら女教師レイプモノが好きと公言する同僚や生徒のいる学校では安心して働けない気がする」と書いているが、それはむしろセクシュアル・ハラスメントの問題であって、表現規制の問題ではないように思う。

なかなかの詭弁であるが、実態は単なる歪曲だ。はてこの元エントリを読めば分かるとおり、校長だか教頭だかは、はてこ先生との議論の合間にうっかり己が本音を吐露してしまったに過ぎず、彼女にHarassして embarrassedさせようとする意図があったわけではない。ここでいう「公言」とは、あくまでもそのような文脈においてであり、「同僚や生徒」が普段の生活においてあからさまに「女教師レイプモノが好き」だと吹聴していたわけではない。現実にはロリ画像を収集していた校長までいるのだから、そんな「学校では安心して働けない気がする」のは当然である。お前は「同乗している男を片端から痴漢の冤罪に陥れてやろう」などと「公言」する女ばかりの車両に「安心して」乗車できんのか? そんな電車に乗って毎日心穏やかに通勤出来んのか!? ああん!? スポーツ新聞のエロ写真にニヤつくおっさんに不快感を覚える女性の心境はこれと同じなんだよ!! 分かってんのかコラ!? 「表現規制の問題ではないように思う」とか言ったところで、この部分は潜在的欲望における「暴力性」の肯定に対する嫌悪を綴っているのだから、「表現規制の問題ではない」のは当然で、これも手前勝手な歪曲である。

はてこ氏は男性をライオンに喩える。なかなか巧妙な喩えだ。ぼくは思うのだが、ライオンがライオンであることは罪ではない。ライオンだってライオンに生まれたくて生まれたわけではないのだから。とはいえ、ライオンにはライオンとしての責任があることはたしかだろう。ライオンはウサギと共存していくやり方を見つけなければならない。しかし、それはウサギの要求に際限なく譲歩していくことではないであろう。

「ウサギ」は「ライオン」に対して「際限なく譲歩」しろなどとは言っていない。このような独り善がりの誇張に端なくもMisogynyの「被害者意識」が露呈している。ここにあるのは、「加害者認定されたという被害者意識に囚われた加害者」である。「被害者意識」ほど危険なものはない。それは己の行動を全て正当化するからである。詰まるところ海燕は、「大震災に乗じて朝鮮人が攻めてくるぞ」と言って虐殺を行った連中の如く「二次元規制に乗じて女が男を難詰しているぞ」と騒ぎ立てているに過ぎない。表現規制に反対する根拠については一切口を噤んだまま男女対立のみを強調していることがそれを証明している。

オタクが女性嫌悪に陥る理由は女性から冷たくあしらわれたか無視され続けたかでしかなく、そのことに対する憎悪をフィクションにおいて晴らすしかないから規制に反対しているだけの話であって、それが益々、女性との距離を拡大していることに気付きながらも、最早そうするしか手立てのない惨めなキモオタの姿がここにある。現実には「小児性愛、拷問、レイプ、盗撮、痴漢」のいずれをも実行していないからNo Problem、フィクションにおいて「非実在」のキャラクターを陵辱しているだけだから自分たちは免罪されるなどと思い込んでいるところへ、嗜好そのものを女に否定されたから逆上しているのである。

要するにこれは、オタクの代表たけくまが行っていた内心の自由と表現との混同である。混同しているのは嗜好そのものを否定したはてこだってか? 違う。反社会的作品を擁護するこのエントリをアップすること自体が表現のひとつであり、これを開陳した時点で内心ではなくなっているのである。反論すること自体が「だれかに『苦痛や脅威』を与え」ているのである。何故なら、そこには「それでもなお、それらを規制するべきではないと」する理由が書かれていないからだ。オタクの口にする「表現の自由」がぜんぜん説得力を持たない理由がここにある。その点に気付くこともなく、「情緒」的反感を披露して悦に入っているところが実に愚かであると言わざるを得ない。

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