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こんにちは、石井ゆかりです。
今週は一気に仕上げたいと思います。
今週はめちゃめちゃハデなのです、
あの天王星様が、とうとう牡羊座に移動するからです!
とはいえ、夏に一旦、また魚座に引き替えすのですが
とにかく、新しい場所に一歩踏み出すわけで
これはかなりギラギラしたできごとです、ホロスコープ的に。
なにしろ、天王星の「星座の移動」は、
前回は2003年ですから、実に7年ぶりと言えます。
7年に一度くらいしか起こらない出来事
とゆーのは、かなりレアです。
この7年間、
「変えよう!変えたい!変革するぞ!反抗するぞ!」
と、何かを相手に頑張って来た人は
それがそろそろ、完成し始めることを
実感するのではないかと思います。
天王星は「論理的に分解する」星です。
人の集団というのは、最初はクリアな論理で組織されたとしても
だんだん時間が経つにつれ、不合理なことがたくさん降り積もり、
変な慣習や機能しないルールに縛られながら
その内側に、疲弊や矛盾を抱え込んでいくようになります。
そんなものを「ぶったぎる」のが、
天王星のパワーです。
若者が大人の「痛いところを突く」というようなことがありますが
そんなイメージです。
新しい価値観や理知で、こわばったものを切り捌いていき
その中から生命力を再生するような
そうしたプロセスを象徴する星なのです。
で
これが、移動します。となりに。
入っていく先の牡羊座は、12星座の「スタート」ラインです。
ですから、時代が文字通り、新しく始まるタイミング、
と言えるんじゃないかと思います。
この牡羊座に前回、天王星が入ったのは
82年ほど前のことでした。
思うにこれまで、
「崩れる」というイメージの出来事が
ほんとに多かったように思うのです。
政権交代や世界不況など、
「それまで大丈夫だったもの」がいくつも崩れ去りました。
今、私たちは失われたものの上に立って
不安や矛盾を抱えながら、
向かう先を模索している時期なのではないかと思うのです。
牡羊座に天王星が入る、というこのタイミングは、
崩れ去るプロセスから、起ち上がるプロセスへの移行
を象徴する気がしてなりません。
この天王星の移動と連動して起こるのが
射手座の満月です。
同じ日、28日に起こります。
これもまた、一つのプロセスが「満ちきる」瞬間を象徴しています。
さらに、木星と土星の180度という形も、ここでピークを迎えます。
木星は射手座の支配星なので、
ここでも、射手座が何らかのテーマにおいて「満ちた」状態が
示唆されている感じがします。
これらを考え合わせると
どうも今週の天王星の移動、というフレッシュな出来事は
ここでは「黎明」の意味を持っているように見えてきます。
要するに、これはまだ
「朝の開始」ではなく
「夜の終わり」を告げるタイミングだ
ということです。
このあと、スケジュール的には
木星が牡羊座に移動し、
土星が天秤座に抜けていき、
さらに木星と天王星は一旦、古巣の魚座にバックして、
半年くらい「見直しと最後の仕上げ」を行った後で
年明けようやくどーんと「引っ越し完了!」となるわけです。
これは来年の半ばまでかかる長丁場で
決して今週一週間などという短いスパンで捉えられるものではありません。
つまり、
夜が明けきってハッキリ朝になったぜ!もう夜見えた星はみえないぜ!となるのは
来年ということになります。
とはいえ、もう空は白み始め、
動物も植物も、夜明けに向けて勢いよく活動を開始するのが「黎明」です。
イングレス(星が星座から星座に移動する瞬間)は
なにか象徴的な出来事が起こりやすいという気がします。
その節目が一体どこへ向かう節目なのか、
それを示唆するような出来事が起こる感じがするのです。
今週起こることは、そういう意味で
とても興味深いです。
牡羊座の支配星は火星ですが
天王星と火星がこのタイミングで、144度(バイクインタイル)という形をつくります。
で、ふと、このもう一方の脚になにかないかなあ、と思って調べたら
パラス・アテナがそこにいました。
小惑星、パラスです。
ほぼぴったり火星とクインタイル、天王星とバイクインタイルで
変形のヨードみたいな形を形成しているのです。
パラスは四年くらいで回る星ですが
奇しくも今、蠍座の6度付近に位置取っていて(この暦が正確ならば)
蠍座も、もともとはその支配星を火星としていました。
火星、牡羊座、射手座満月、蠍座パラス。
なんだかこう、・・・・カッカカッカしています。
鉄火な感じ、勢いがあって、燃え上がっている感じが漂っています。
直観的な動き、情熱的な動き、挑戦、表現、怒り、愛です。
パラスという星は、
パラス・アテナ、つまり「戦いの女神」の名前がついた星です。
「創造的な知恵」「調和の星」「勝利」などの意味を与えられていますが
諸説あるようです。
私は通常、小惑星はあまり使用しないのですが
(メインの星だけでも充分以上の情報量があるので)
こうした象徴的なタイミングに、こうした魅力的な形が作られていると
ちょっとやっぱり気になっちゃいますね。
牡羊座、火星、という要素は「戦い」に関係が深いのですが
144度、72度という角度は決して正面切って闘う角度ではないし、
さらにこのパラスとアテナの神話として残っている話が面白いのです。
二人は親友だったのですが、ある日ケンカしました。
二人とも戦いの神様だけあって相当危険な状態になったので
ゼウスがアテナに助け船をだすと、
その拍子に、アテナの攻撃がパラスにヒットしてしまい、
パラスは最期を遂げるのです。
元々親友だった二人ですから、アテナはこれを悲しみ、
パラスの似姿として木像をつくった、となっているそうです。
闘ってはいたけど、それは本気の、殺しあいじゃなくて
ほんとは気持ちが通じ合い、愛し合っていたからなのかもしれません。
144、72度という角度と、このパラスの位置は
諍いの昇華、というものが感じられて、なんとなく、いいなと思ってしまいました。
タイの暴動、韓国の哨戒船の事件、口蹄疫の問題など、
必死で「闘っている」人がたくさんいるのだ、と思うと、非常に切なくなります。
無力感を禁じ得ません。
私は個人的に「星の影響で何かが起こる」とは思っていません。
あくまで時計のようなものとして、今週の星回りのようなのを見ると
「これだけの動きがあるのだから、続いてきた戦いも終わっていってほしい」
と思ってしまいます。
一つの戦いが終われば、また新しい戦いが始まるのが「生命」ですが、
戦いが新しい意味と力を持ってくれるように、と願ってやみません。
今週はそんな感じです。
———————— 8×キリトリセン ————————
石井ゆかり 2010/05/22 07:42 はるきさん、私はじつは、誤解されるのがいやで書かなかったんですが、天王星が移動したのは厳密には83-82年前で、これは、「昭和2-3年」なんです。その前の年末に大正が終わっています。つまり、前回の天王星移動というのは、昭和という時代がスタートした時期なんです。でもこれは「天王星の移動と元号の変わり目が重なる」という意味では決してなく(その証拠に、平成はちがいますよね、反例が簡単にあがる場合は「AならばB」という考えは成り立ちません。星占いの場合は特にそれが顕著で「この形では必ずこれが起こる」というふうにならないように思っています。これは科学の世界で言う「再現性がある」ということですが、星占いは科学の世界ではない、主観の、人の心の世界なので(私はそうした考え方に立ちます)科学的に再現性があったりはしないのです。神話や象徴の世界には、科学とはまったく別種のもうひとつの「真実」があります。子供のころから「科学的思考」に慣れてしまっているわれわれには、これがなかなかうけとめにくいのですが、、、)、昭和って言うのは元号以上に1つの時代であり、平成の現代まで続いている長期的な「時代」だなととらえています。言ってみれば、白人種以外のアメリカ大統領の就任や、いくつかの国でのドラスティックな政権交代、大地震や大嵐、津波、ヨーロッパの交通が麻痺するほどの火山の噴火(この「前回の噴火」のときのチャートも非常に興味深いですが)、世界をゆるがせていくつもの大企業が消え、今も多くの人を苦しめている世界的な大不況など、ここ数年、そうめったには起こらない非常に大きな出来事がばんばん起こっていました。
また、イージスの語源であるアイギスは「盾」であり、盾は、本来、剣や槍とちがって、攻撃の道具ではなく、防具です。そして、パラスが象徴しているのは、戦いそのものではなく、「いさかいの終了がもたらすもの」だと考えられています。パラスを持ち出したのは、「戦いが始まる」のではなく、「終わった戦いの中から何かが生まれる」という象徴のようなものではないかと解釈したからです。つまり、パラスの象徴のなかにある「戦い」は、過去数年間に私たちが体験してきたものではないか、という意味で書いたのです。
さらに、神話というのは、あくまでその寓意を象徴的に読み解くべきであって、決して「予言」のように考えてはいけないと思うんです。とはいえ、人は「予言」、特に不思議と「怖い予言」を好みますから、ノストラダムスの大予言とかがとても人気がでたわけですけれど、(1999年の裏切りもなんのその、今は2012年が大人気です。はずれてもはずれても「予言」は命を失いません、これは私の占いもそうで、「あたらない」といいつつ読んでくださるかたのなんと多いことか・・・私自身もそうしたところがあります、人間の心ははずれても「今度こそはあたるのかもしれない」と、予言を求めているのです。非常に不思議なことです)。その「世界の終わりやとてつもない災害や大戦争という予言を好む気持ち」については今週の回覧板メルマガでも書きましたので、読んでいただけたらと思います。
はるきさんの心もそうした「大災害がや大事件が起こるのでは?」という「予言の魅力」に反応したのだと思いますが、そうしたことは実際は、人間の予期したとおりになどならないんじゃないかと私は思います。多くの終末論や予言は、宗教の布教にも古来、広く使われています。人の心がそれを「信じたがる」のは、古今、これだけ科学が進んだといわれていても変わらず、科学者ですら、終末の予言をしたいという欲望から逃れられずにいる人もいるようだと私は感じています。
恐ろしい出来事が起こりませんように、という祈りより、今現に起こっている恐ろしいことがたくさんあると思うのです。それが終わるように祈るほうが、私は、ずっといいことじゃないかなと思います。まだ起こっていないことを恐れて暮らすよりも、すでに起こってしまっていることを注意深く見つめてそれに心を用いるほうが、ずっといいんじゃないかと私は思っています。